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誰も守ってくれない 〜 罪と罰
JUGEMテーマ:日記・一般


Libera/リベラ - You Were There/あなたがいるから


男の子だけの歌声と聞き開いた口がまた開きよだれでおぼれそうなkaeruですこんばんは。

今日相方とレイトショーを見に行ってきました。
佐藤浩市主演の『誰も守ってくれない』です。
従業員も「重い内容だ・・・」とこぼしながら次の案内をしていたので結構期待して・・・


※これより先は、受け止め方によって感情を逆撫でする可能性がある内容が含まれると思いますので興味ある方だけご覧下さい。
いざ始まったら、まあ、話が1/24から始まるので1/24Roadshow なんて安易なんだろうと言う感想からはじまって、ただ警察が非公式に容疑者家族を守ることもあるが、それもあくまで供述を取りたいが為であって決して人道的立場からくる行為ではないのが上層部の本音で、その末端は上司の命令と自分の現在と過去の体裁の狭間で葛藤しながら人としてどうしていくのかという人間模様を平たく描写した作品で、キャストも志田未来はすっかり女優として仕上がっているので、赤い糸の方が女優の将来性と内容的には期待できそうかなというのが本音で言いたいくらいでしたが、松田龍平がかっこいい、とにかくかっこいい。弟もかっこいいししっかりした俳優になっているのですが、兄貴の方があの危なっかしさが父松田優作に似ているのかはまる演技を見せてくれるんですよね。
相方は佐々木蔵之介、あちきは松田龍平をただみて満足してきました。

佐々木蔵之助は、記者で犯罪者の家族も犯罪者をつくった環境が家庭にもありその責任があるから同罪、被害者遺族のために謝罪しろ、反省しろ、死んで詫びろという精神から加害者家族を追うのに対して佐藤浩市がそういうマスコミから加害者家族を守っていくのですが、結局どういう形であれ被害者が満足いく謝罪ってないと思います。

日本の極刑は死刑ですが、じゃあ死刑になれば被害者は報われるのでしょうか?
被告だけではぬるい。じゃあ被告の家族もろとも死刑になれば報われるのでしょうか?

答えは、否。

池田小学校事件や奈良女児殺人事件はどうだったでしょう。
被害者家族は、被告を死刑にしないでくれと言っていました。

被告が死刑を望んでいたからです。
死を望んでいたからです。

相手の望み通りにいくことは例えそれが極刑であっても被害者は報われないのです。

相手の望まない方法で考え得る限りの苦痛を被告に味わって欲しいのが一般的に被害者の望むところであるような気がするのですが、現状の法律でその裁きを出すことは現実的に不可能でせいぜい裁判官の配慮で判決文に盛り込まれるのが関の山といったところだと思いますし、仮に被害者の望む判決が出たとしてもそれで被害者の気が済むということはないんじゃないかと思います。

被害者の気持ちが落ち着く唯一の方法・・・
それは、

『赦す』こと。

これが一番の方法で実はこれしかないんだなと感じました。

同じ罪を犯しても日本は死刑でも、イタリアでは懲役10年かも知れないし、カンボジアでは無罪かも知れない。

同じ事をしても、国や民族、文化などで裁きが違うことということじたいおかしな事で、悪いことであるなら共通の裁きがあるはずです。それがないということは罪は個人の理性にあるもので現実にはないということではないでしょうか。


では、罪がないのなら何をしてもいいのでしょうか?

答えは、否です。

いいわけがありません。


では、罪がないのなら何を基準に行動したらいいのか?

答えは、ただ一つ・・・


なぜ人を殺めてはいけないのですか?

これに答えられる人が何人いるでしょうか。
以前、こんなタイトルの本を読んだことがありますが、当を得ておらずちんぷんかんぷんでした。


あちき達が、極度に遅れていると思っている原始的な人々の社会(部族)には警察などの犯罪を取りしまる仕事の人たちはいません。
彼等は、部族すべてが家族であり、守るべき存在であり、身体の一部だと思っている。
だから、隣人が困っているのに知らん顔を決め込むことはしません。
隣人が困るということは自分が困ることだからです。
隣人が空腹でいる側で自分だけ満腹になることはありません。
隣人の空腹は自分の責任だからです。
着る物もなく、食べるものもない人を放っておくことは自分の恥であり部族の恥であるからつまみ出される。
そうやってゆりかごから墓場までの安全と保証を警察なしで獲得してきている人たちがいます。
皆が皆をみる責任を遂行して有史以来7000年、有史以前7000年〜1万年以上前から変わらない生活をしてきている人たちが僅かながら残っています。
あちきたちが遅れていると勘違いしている原始的生活をしている人たちと、高度に進んだ文明(と勘違いしている)の中で生活しているのに、日々犯罪におびえながら生活しているあちき達の違いは何でしょうか。

彼等は強い帰属意識を持っています。
いずれ一つになることを知っています。
いずれ一つになる、もしくは既に一つであることを知っているため隣人を傷つけることは自分を傷つけることだと知っています。
自分で自分の鼻を咬む人がいないように隣人を傷つけることもしないし考えつかないのです。
だから、何が自分のためになり何が自分のためにならないかをよく知っています。
彼等は、一つで繋がっているのは隣人だけでなく、草原にいるバッファローも木々も道ばたに生えている草も、そしてそれらの土台になる母なる大地とも繋がっている事を知っています。
だから、接続可能(再生可能)な方法以外で自分たちの食料を手に入れません。
環境を汚すこともしません。
破壊もしません。
いずれ一つになり(または既に一つであり)帰ることを知っているからです。

他の部族は、自分たちとは違うんだという認識はしますが、だから悪いとか、敵視することはほとんどありません。
自分と違う存在があるからこそ、自分たちが存在している(存在を確認できる)ことを知っているからです。
戦争(争い)という言葉を持たない部族もたくさんあります。

彼等は、強い帰属意識があるため、そして何より一つで繋がっていることを知っているため、またそれを促すだけの高い精神を持っているため自分が考えたり、言ったり、したことに関連する結果を広い視野で認識する事が出来ます。
結果をかなり正しく認識することができるから、その結果をもたらした自分の役割を検討し明らかにすることができます。
そして最後に、それぞれの部族にあった手段で結果に対する責任をとる機会を公平に与えられます。(公平に機会を与えられることをあちき達は平等といっています。)

認識 − 誠実 − 遂行

これが極めて自然に機能する社会で生活を営んでいるのです。


彼等から見た「ためになること」と、あちき達からみた「ためになること」に明らかな違いが生じていることに気がつきましたか?

だからこそ、ギルガメシュからはじまる有史以来7000年、有史以前7000年〜1万年以上前(どの資料を採用するかによります)から接続しながら存続することができたのだと思います。



・・・なぜ人を殺めてはいけないのですか?

・・・答えはただ一つ・・・
それが自分のために、自分が成長する上で経験することが望ましいかどうか。

それだけです。



しかし、これは理想論であって今すぐ現代社会に持ち込めるわけもないし、持ち込むべきでもないのですが、しかしいずれ社会が向かっていかなければならない方向であることも知っておいて欲しいと思います。



彼等のように遅れていると思っていたが、実は高度に精神的成長を遂げている文化のみこの様な理想的社会を営むことが可能であり、高度に精神的成長を遂げた人たちでなければ、自分のためにならないから人を殺めないということは理解できないでしょう。
物欲を満たし、他人よりいかに多くの物を保存しているかが幸福のバロメーターになっている高度に物欲が成長している文化で生活をしていく限り法律はどんどん増え、法律が増えるに比例して犯罪もどんどん増えていく中で、加害者の意識改革を求めることは非常に難しいでしょう。
加害者に意識改革を求める前に、社会が教育を見直さなければなりません。
自分の行為がもたらした結果を正しく認識し、その中での自分の役割を誠実に受け止め、その結果に対して認識した自分のできることを遂行する・・・ 認識 − 誠実 − 遂行 ・・・この簡単なようで実は現代社会でほとんど機能していないこのたった3つの事柄を学校で、家庭で教育していかなければならないでしょう。
それができなければ加害者が被害者の気持ちをわかるということは非常に難しいと思います。
しかし、被害者が精神的に成長していくことにより『赦す』ということに気がつけば将来的にも現実的にも気持ちが楽になるのではと思いました。
赦すということは、相手を受け入れるということです。
これは並大抵のことではないでしょう。
それ故に、高い精神的成長が求められると思います。
しかし、山の向こうには素晴らしい景色が必ず待っています。

実刑じゃ気が晴れない。
死刑になったがやっぱり気が晴れない。
金じゃ解決にならないんだよ・・・

残るは『赦し』、『受け入れること』だけだと思います。


一見加害者養護とも受け取られかねない内容ですが、基本的に罪も罰もないと思っているので書かせてもらいました。

辛く思うも乗り越えるも個人の考え一つ。
自分が感じるのであって、他人が感じるわけではない。
人がどう感じるかではなく、自分はどう思うのか。
だから、他人の裁きに満足しないのは当然のこと。
倫理は法律では決められません。
平等も義務づけることはできません。
必要なのは集団的良心の押しつけではなく、意識の改革です。
それも一人でも多くの。
個々の考えが意識として集合し、エネルギーとなり現実を作り出す。
辛い現実や楽しい現実を作り上げていっている。
感じるのは他人ではなく本人、どうせ感じるなら辛いことは少ない方がいい。
少しでも辛いことを軽減して欲しくエントリーしていますので、そこをくみ取ってもらえればまた意見も変わるのではないかと思います。

もう一つのキーワード『死』につて正面から見つめることによりもっとわかりやすく受け入れられると思うのですが、ちょっと長くなりすぎるのでいずれまたの機会に『死』は取り上げたいと思います。





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Posted by : kaeru | 心底 | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0)| - |
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